2013年10月5日土曜日

マルクスに関する無駄な知識。


本名 カール・ハインリヒ・マルクス:Karl Heinrich Marx

マルクス主義(科学的社会主義)と呼ばれ、20世紀行以降の国際政治や思想に大きな影響を与えた人物。
資本主義社会の研究をライフワークとし、「資本論」と主著し、「資本論」に依拠した経済学体系はマルクス経済学と呼ばれる。

そんな、彼に関する無駄な知識を。


◯ 生まれはプロイセン王国、今のドイツ。亡くなった所は、イギリスのロンドン。
・生涯の大部分を亡命者として過ごした、プロイセンの後は、フランスのパリ、その後は、イギリス、ロンドンに渡った。
マルクスの生家
◯ 元々ユダヤ教だった家系の父親が自由主義者でプロテスタント、だけど、お母さんは、ユダヤ教。
・母親は、オランダ生まれでドイツ語の発音や書くことも不慣れだった。

◯ マルクスのお父さん、実は、フリーメーソンの会員。

◯ メッチャ字が汚い。
・卒業論文を書いたマルクスだが、ヴィッテンバッハ校長に「なんといやな文字だろう」と書かれている
1836年 ボン大学時代のマルクス

◯実は、詩人を目指していた時期があり、お父さんに説得されやめた。
・ボン大学に入学し、法学を中心としつつ、詩や文学、歴史の講義もとっていた。大学入学から3ヶ月にして、文学同人誌へのデビューしたが、父親に「お前が凡庸な詩人としてデビューすることは嘆かわしい」と説得して止めた。

◯ 学生の時に決闘をした。しかも、ピストルで。
・当時の学生は決闘をするぐらいしかすることがなかったらしく、マルクスも一度、行ったことがある、しかも、それは一般的なサーベルを使ったものではなく、ピストルを使う決闘。それにより、左目の上に傷を受けたことがあるらしい。

◯ 学生の時は、どうしようもないヤツだった。
・全体的に素行不良で酔っ払って狼藉をしたと処分を受けたり、ピストルの不法所持で警察に一時勾留されたり、しかも、浪費も激しく、お父さん「まとまりも締めくくりもないカール流勘定」と嘆いた。。

◯ お父さん、カールを怒って転校させる。だけど…
・ボン大学で遊び歩くので、勉学な厳格なベルリン大学に転校させた。
・しかし、変わらず、多額の借金を抱えるほどの生活を送った。これについてお父さんは、「裕福な家庭の子弟でも年500ターレル以下でやっているというのに、我が息子ときたら700ターレルも使い、おまけに借金まで作りおって」と不満を言っている。
1850年のベルリン大学

◯ ぶっちゃけ、法律学ぶより、哲学を学びたかった…カール。
・弁護士だったお父さんは、法律を学んで欲しかったが、息子は、哲学研究に没頭した。

◯ お父さん、死んじゃって、家族仲最悪。
・在学中にお父さんが亡くなってしまい、お母さんは7人の子どもを養う身の上になってしまった。その為、早く卒業をして働いて欲しがっていた母なのに…それでも、仕送りを要求する息子!その為、母や姉と金銭を巡って争うようになり、家族仲は険悪になってしまった。

◯ 就職したのは、新聞社。
・法律の関係の仕事ではなく、結局、新聞社に入りジャーナリストに。その後、編集長に任じられた。その後、新聞社は廃刊、以降は、ジャーナリストととして、各地を転々とする。

◯ 夫として、最低…。
・終わることのない困窮状態で夫婦喧嘩が絶えない…友人、エンゲルスに「妻は一晩中泣いているが、それが私には腹立たしくてならぬ。妻は確かに可哀想だ。この上もない重荷が彼女に圧し掛かっているし、それに根本的に彼女が正しいのだから。だが、キミも知っての通り、私は気が短いし、おまけに多少無情なところもある」と告白している。

◯ 理想の社会システムを目指さなければ!と考え、「資本論」の執筆を始めたマルクスに悲劇が…
 ・この「資本論」を執筆し始めたマルクス、専念するため新聞記者、ジャーナリストとしての職業を辞め無職に!
 ・無職になったため、妻や子供を養っていけなくなり、一家は貧乏のどん底に。
 ・3人の子どもを亡くしてしまう…その理由は、薬を買うお金が無かったから。

◯ 肥満で短足。
 ・娘婿のポール・ラファルグはマルクスの体格に付いて「背丈は普通以上で肩幅は広く、胸はよく張り、四肢はバランスが良い。もっとも脊柱はユダヤ人種によく見られるように、足のわりに長かった。」と評している。よは、胴長、短足ということ。

◯ お尻にオデキ。
・資本論、第一巻を執筆していた頃には、お尻のオデキに苦しみ、しばしば座っていることができず、立ちながら書いていた。そのことを友人、エンゲルスに「滅びる日までブルジョワジーどもが私のお尻のオデキのことを覚えていることを祈りたい。アノむかつく奴らめ」と返信している。

◯ 酒好き、しかもヘビースモーカー。
・マルクスがラファルグにこう語っている。「『資本論』は、私がこれを書くために吸った葉巻代にもならないだろうね」と。

◯ しょっぱい物好き
・ハムや、燻製の魚料理、キャビア、ピクルスなど塩辛いものを好んでいた為、肝臓や
痔、胃腸カタルなどに苦しんだ。

◯ 友人のエンゲルスの器のデカさが半端ない。
・お金に困っているマルクスに毎回毎回、仕送りをしていたエンゲルス。
エンゲルスが妻が亡くなったとマルクスに手紙を出したところ、マルクスからの返事の手紙には、自分の会計の窮状を訴えたことで、彼らの友情に危機が訪れた。それでも、エンゲルスは、常にマルクスを物心両面で支え続けた。そして、『資本論』が完成したときマルクスは、エンゲルスに対して「きみがいなければ、私はこれを完成させることが出来なかっただろう」と感謝した。(でも、お金は返していない)
フリードリヒ・エンゲルス

◯ みんなに嫌われたマルクス。
・金銭問題はもちろん、ルーゲによると、悪口を誰に向かっても平気で言っていたらしい。(そりゃ、嫌われるよ)


1867年のカール・マルクス

そんな、マルクスの書いた『資本論』の内容は・・・。

かつてのゴタゴタから怖い本、怖い内容と思われがちだが、実際は、「資本主義の良いところ、悪いところを解説して、ココを直すともっと良くなるよ!」と主張した本。
マルクス自体は、資本主義=悪とは必ずしも考えていなかった模様。

ちなみに、この資本論は、1867年に第一巻(マルクス存命中)、1885年に第二巻(マルクス死去後エンゲルスが遺稿を元に刊行、1894年に第三巻も(エンゲルスが刊行)、さらに第四巻として予定していた遺稿をエンゲルスの死後、カウツキーにより「余剰価値学説史」として、1905年から10年にかけて3巻に分けて出版されている。

1973年に東ドイツで出版された『資本論』
エンゲルスや、周りの良き友人がいなければ、資本論が有名になることは無かった…。


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