2013年11月2日土曜日

『福沢諭吉』に関する無駄な知識。

『福沢諭吉』に関する無駄な知識。



① 「諭吉」の名前の由来は、生まれたその日に父親が買った本に由来する。
 ・儒学者であった父親は「上諭条例」(清の乾隆帝治世下の法令を記録した書)を手に入れた夜に生まれたから


② 46歳の時の身長と体重。
 ・身長173cm、体重は、70.25kg。肺活量は、5.159L
③ 勝海舟との仲は最悪。
 ・晩年まで険悪な関係が続いていた。
④ 「ヴ」や「ヷ」を初めて用いたのは、福沢諭吉。
 ・アメリカで購入した広東語・英語対訳の単語集である「華英通語」の英語にカタカナ読みをつける際、「v」の発音を表すために用いた。


⑤ 有名な「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という言葉があるが、これは、福沢諭吉が考えた言葉ではない。
 ・有名な、学問のすゝめにある「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という言葉があるが実は、この言葉の最後に「と云えり」という一語がついている。これは、現代で言う「って、いわれてるよねぇ」みたいな感じで、この言葉の出典は、諸説あるがトーマス・ジェファーソンによって起草されたアメリカの独立宣言の一節を意訳したというのが有力説である。


⑥ 学問のすゝめは、340万部も売れた!
 ・当時の日本の人口は3500万人なので、約10人に1人が「学問のすゝめ」を持っていたことになる。

⑦ はじめて新聞に天気予報を掲載した。
 ・『時事新報』という新聞で天気予報を掲載し、その際に「晴れや雨を表すイラスト」を用い、現在のお天気マークの元祖を作った。
⑧ めちゃくちゃの酒飲み。
 ・幼少期からお酒を嗜みかなりの大酒飲みであった。禁酒を試みたが、その際に親友から「代わりにタバコを吸え」と言われタバコも覚えた。結局、この禁酒も上手くいかず、タバコ、お酒、両方共、覚えてしまった。

⑨ 銀行、特に中央銀行の考え方を日本に伝え、複式簿記も伝えた。
 ・日本銀行の設立にも注力した。
 ・簿記の借方貸方という語は福沢の訳によるもの。

⑩ 日本に近代保険制度を紹介した。 
 ・「西洋旅案内」の中で「災難請合の事−インスアランス−」という表現を使い、「生涯請合(生命保険)、火災請合(火災保険)、海上請合(海上保険)の三種の災難請合について説いている。

⑪ 韓国の近代化に力を注いだ。
 ・アジアの改革勢力の支援を通じて近隣諸国の「近代化」に力を注いでいる。李氏朝鮮の金玉均などを支援し、「漢文とハングルの混合文を発案するとともに、朝鮮で初めてのハングル交じりの新聞「漢城周報」へと発展する「漢城旬報」の創刊にも資材を投じている。また、明治14年6月から朝鮮からの留学生も受け入れている。

⑫ 居合の達人
 ・立身新流居合の稽古を積み、成人の頃に免許皆伝を得た達人。
 ・一日、千本以上居合で刀を抜いていた。医学者の土屋雅春は、「居合のやりすぎ」で死んだと挙げている。
⑬ 学生時代は、解剖した動物を食べた。
 ・「熊の解剖」「豚の解剖」などで使った検体をよく、鍋で煮て食べたというエピソードがよくある。

⑭ 夏は、全裸で暮らしていた。
 
⑮ 学食で牛肉を出したのは、慶応義塾が最初。
 ・明治初頭のこと、当時の政府が東京の学食ランキングを行い、結果、
 1位 学習院
 2位 慶応
 3位 東京帝国
 に憤慨し、西洋料理人を呼び寄せ学食にビーフステーキを出した。

⑯ 早稲田大学を創立した大隈重信とは、メチャクチャ仲が良かった。
 ・両人とも九州人(福沢・大分、大隈・佐賀)で早稲田の開校式に来賓として招かれている。

⑰ 一万円の肖像の時の福沢諭吉は、56才。
 ・老けているか、歳相応か・・・。
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(↑の写真は、晩年1900年頃の写真)
⑱ 一万円が福沢諭吉の理由とは?
 ・明治の黎明期に教育や文化を広めた事の功績が理由などと言われているが、本当の理由は、福沢諭吉の有名な「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という言葉がアメリカの独立宣言の意訳ということで、アメリカと同じ考えの国ですよ!というメッセージが込められているから・・・という説が最近、盛り上がっている。


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